算数や数学とはいえ、問題文の日本語がおかしかったら解きようがありません。 そういう意味では算数や数学の教師も国語力が多分に求められる職業なのかもしれません。
主語不在の算数の問題文が、大人でも読解不能だとして話題となっています。その内容とは?
「ももが5こあります。3こもらうと…」
ツイートしたゆき乃(@yukiNoy)さんは、息子さんの疑問により、この問題文の不明瞭さに気づかされたようです。
ももが5こあります。
3こもらうと、ぜんぶでなんこになりますか。「もともと5こあるももは誰のなの?」っていう息子の疑問。めっちゃわかるよ..。
どこかに桃が5こあってそこから3こもらったと思ったのね。わかる。
【桃はどこに5個あって、誰がどこから3個もらったの?】 pic.twitter.com/t4pB6oHbYc— ゆき乃 (@yukiNoy) 2018年7月28日
画像はこちら▼
ももが5こあります。
3こもらうと、ぜんぶでなんこになりますか。(※『5ー3=2』は不正解)
これたぶん主語は常に自分という目線で
「のこりはなんこ」って聞かれたら引き算で
「ぜんぶでなんこ」って聞かれたら足し算みたいな区別があるんだろうけど。
そのルールちょっと難しい気がするの私だけかしら。— ゆき乃 (@yukiNoy) 2018年7月28日
高校生娘にこの出題をどう思うか尋ねたら「“ぜんぶで”とあるから足し算に決まってる」と即答。ほう。現役にはそのルールはやっぱり通用するものなのか。勉強から長らく離れてる私からするとその「決まってる」は、出題者への忖度なんじゃ?と思わずにいられない。
小1息子も、これに慣れていくのかな。— ゆき乃 (@yukiNoy) 2018年7月29日
ゆき乃さんはこれについて、もはや学校で学ぶ「さんすう」は処世術のように「覚えてしまおう」と息子さんに指導したといいます。▼
追いきれないほどのリアクション、引用RTを頂いております。
ちなみに同じドリル内で引き算が正解のバージョンはこちらです。
「のこりは」ですね。
息子の疑問はきちんと認めた上で、学校で学ぶ「さんすう」のルールについて「覚えてしまおう」と教えました。これは一種の処世術のように思いました。 pic.twitter.com/ZTb62k3cBD— ゆき乃 (@yukiNoy) 2018年7月29日
<リプライ欄の反応>
・「あなたはももを5個もっています。となりのひとから3個もらったら」とかにしてほしいと思いました。長い文は難しいって理屈なのかもしれないけど、こういう「察しろよ」的な省略よりも論理性の方を大事にしてほしいなこれからは、と。
・日本語の主語を省略してしまうという文法の悪い側面ですね。例えば英語だと主語の省略はないので、こういう事は起きません。すなわち、日本人が英語できない理由の一つです。英語にはご子息のような思考が必要なので、英語得意になると思いますよ。
・フォロー外から失礼します。最近の算数の文章問題って、こんなに曖昧なんですか?っていうか、こんなんだったら文章問題にする意味あります?普通の計算問題にしてもいいですよね。
ストーリー性があってこその文章問題だと思います。・はじめまして。FF外より失礼いたします。
柔軟な発想や思考を嫌い、既定のやり方からはみ出すことを許さない、いかにも日本的な嫌悪感を抱きます。元々日本の学校が軍隊をモデルにしていた経緯から、柔軟な発想を許さない事が基本となり、乱すものを罰するんですね。息子さんの意見も一蹴される現実。・「さらに3こもらうと」だと足し算の問題になりますし、
「ここから3こもらうと」だと 引き算の問題になるので、5-3=2 も正解、と思います。・日本語が不完全だから、答えに多様性が出てしまう。多様性を認めない!!!それは差別じゃないでしょうかw
算数は文章読解能力を試す教科ではなく、計算能力を試す教科であることは言うまでもありません。その意味ではこういった現代文のようなミスリードを誘う問題文で子供たちが消耗することは、些細であるもののロスではないかと思わされてしまいます。