【奇跡中の奇跡】天文学的確率で生還した強運の持ち主5人

No.1 Bill Morgan(ビル・モーガン)

1998年6月当時、オーストラリア・ビクトリア州でトラックの運転手をしていたビルさんは、交通事故によって瀕死の重傷を負いました。

すぐさま病院へと運び込まれたビルさんは、一時は約12分間も心肺停止状態に陥るなどし、医師からは死亡宣告がなされたそうですが、そこから何とか持ち直して息を吹き返し、約2週間に亘る昏睡状態が続いた後に意識が回復しました。

回復したビルさんの体には後遺症なども見られず、彼はまさしく奇跡とも言える幸運に恵まれたのでした。しかし、彼のラッキーな物語はここからが本番でした。

九死に一生を得た経験は、ビルさんを別人へと変えさせました。彼は慣れ親しんだ仕事を変え、長年付き合ってきた恋人にプロポーズをしたのです。プロポーズは見事に成功しましたが、なんとそれだけではなく、同じ時期に購入したスクラッチくじで車を当ててしまいました。高額な入院費の支払いで生活に困っていたビルさんにとって、これは何とも嬉しい出来事でした。しかし、幸運はまだまだ続きます。

このドラマチックな物語はすぐさま話題となり、地元のTV局はビルさんの特集を組むことに決めました。そして、宝くじが当選した時の再現VTRを作成するために、ビルさん本人が参加して撮影が行われました。

撮影は本物の宝くじ売り場にて行われ、ビルさんには、クジを購入し削った後「車が当たった!」というセリフを喋るよう指示が出ていましたが、彼が発したセリフは「25万ドルが当たった!僕は冗談を言ってるんじゃないよ!」というものでした。なんと、ビルさんは撮影のために訪れた宝くじ売り場でまたしても大当たりを引いてしまったのでした。

この事はすぐ様に婚約者へと伝えられ、2人は家を購入することに決めたのでした。ビルさんの婚約者はインタビューで、「彼が全ての幸運を使い果たしていないことを祈るわ」と語っています。

25万ドル当選の瞬間

No.2 Edwin E. Robinson(エドウィン・ロビンソン)

人間に雷が直撃する確率は、数万分の一、もしくは数千万分の一とも言われていますが、事故で視力と聴力を失っているエドウィンさん(62)の場合、その確率はあてにならないものでした。

1980年のとある日のこと、飼っていたニワトリを見失ったエドウィンさんは、ニワトリを探すあてがないのにも関わらず、家の周りの野原を歩き回っていました。それも、雨が降りしきる中でアルミニウム製の杖を突きながら。

そして、エドウィンさんはニワトリの捜索中に突如気を失ってしまいます。彼は背が高い木の近くにいたために、落雷が木を伝ってエドウィンさんへと襲い掛かったのです。

雷に打たれてしまったエドウィンさんは約20分間ほど気を失っていたといいます。その後、何とか意識が回復したエドウィンさんは、自力で自宅へと戻り、体力を激しく消耗していたためかすぐに眠ってしまいました。そして、夕方に目が覚めたエドウィンさんはおかしなことに気が付きます。なんと、失われていたはずの視力と聴力が回復していたのです。

完全に回復したと言えるレベルでは無かったものの、見えなかったはずの家の時計を見ることが可能になり、補聴器を外しても妻と会話が出来るようになったのだとか。また、雷に打たれたこと関係があるのかは不明ですが、この事故以来、30年以上ツルッパゲだった頭に髪の毛が生えてきたのだそう。

No.3 Anders Helstrup(アンダース・ヘルストルプ)

爽快な空のスポーツ「スカイダイビング」にはそれ相応の危険が伴います。地面に向かって終端速度で落ちていくということは、着地を失敗すれば即死は免れません。しかし、上手くパラシュートを開けたとしても油断してはいけません。なぜなら、アンダースさんの身に起きた次のようなケースが存在するからです。

この日、仲間と共にスカイダイビングを楽しんでいたアンダースさんは、空からの景色を撮影するため、ヘルメットにカメラを取り付けていました。その後、ダイブは無事に成功し地上へと帰還したアンダースさんでしたが、撮影した映像を確認するとそこには、パラシュートを開いたアンダースさんのすぐ横を落ちていく「隕石」が映りこんでいたのです。

この動画がインターネットにアップされると、すぐさま科学界の注目を集めました。専門家の分析によると、この隕石は地上から上空約12kmほどの場所で爆発した隕石の欠片であるという可能性が高いのだそう。

通常、隕石は大気圏に突入すると「流れ星」となって燃え尽きてしまいますが、一定の大きさがある隕石は大気圏を抜けて落下し続けます。炎が消えて光を発さない隕石が落下するこの現象は「ダーク・フライト」と呼ばれており、ダーク・フライトの映像が捉えられたのはこれが世界で初めてのことでした。

この時の隕石の落下速度は約300kmを超えていたのだそうで、もしも隕石がアンダースさんに直撃していれば無事では済まなかったことでしょう。しかし、ダーク・フライトは狙って観測できるようなものではないために、ある意味ではかなりの幸運に巡り合ったといえるのかもしれません。その後、アンダースさんは仲間と共に落下した隕石の行方を探したそうですが、残念ながら発見には至らなかったとのことです。

No.4 山口彊(やまぐち つとむ)

1916年、長崎県に生まれた山口さんは、中学を卒業後に長崎三菱造船に入社し、製図工として働き始めました。

それから時は流れ1945年8月6日、広島県の造船所に出張していた山口さんは、世界で初めて実戦投入された原子爆弾「リトルボーイ」の被害に遭ってしまったのです。

山口さんは重症を負いましたが、奇跡的にも命に別状はなく、家族の身を案じた山口さんは急いで長崎へ帰りました。しかし、長崎へと帰った山口さんを待ち受けていたのは、アメリカ軍による2回目の原子爆弾投下でした。長崎でも被爆してしまった山口さんでしたが、驚くことに、ここでも山口さんは命を落とすことはありませんでした。

それからの山口さんは、広島・長崎両県の原爆投下を経験した被害者として、生涯をかけて核兵器の実態を伝え、核撲滅運動に取り組みました。後のインタビューでは「原子爆弾は人間の尊厳を踏みにじるもの」と語っており、また「世界がなぜ原子爆弾の恐ろしさを理解できないのか分からない。どうしてこのような兵器を製造し続けられるのだろうか」とも語っています。

2009年には、日本政府によって正式に、山口さんの健康手帳に「二重被爆者」の記載がなされました。そして、翌年の1月4日、山口さんは胃がんのため長崎県長崎市内の病院にて息を引き取りました。享年93歳でした。

No.5 Frane Selak(フラン・セラク)

クロアチアで音楽教師を勤めていたフランさんは、通称”世界で最も幸運な男”として知られています。と言うのも彼は、それまでの人生で7回も命の危険に晒される事故に遭遇していながら、その全てを奇跡的な強運によって乗り越えてきた男なのです。その内容は以下の通りです。

「脱線事故」-1962年
ボスニアからクロアチアへと向かう列車に乗っていたところ、列車が脱線事故を起こし、車両は近くの川へと水没。乗客17名が溺死する大事故となりましたが、フランさんは、低体温症と腕の骨折という軽い負傷で済みました。

「飛行機墜落事故」-1963年
人生で初めて乗った飛行機がエンジントラブルを起こし墜落。しかし、フランさんは墜落前に吹き飛んだ非常口から外に放り出されており、その着地地点が「干し草の山」だったために無傷で生還。他の乗客乗員約19名は死亡しました。

「バス転覆事故」-1966年
たまたま乗っていたバスが運転を誤り川へと突っ込み沈没。4人の乗客が溺死しましたが、フランさんは自力でバスを脱出し川を泳ぎ切り生還。

「睾丸誤射事故」-1968年
息子に銃の握り方を教えていた際、誤って安全装置を解除してしまい自身の睾丸を誤射。命に別状はありませんでした。

「自動車炎上事故」-1970年
フランさん自身が運転していた車が何らかの原因で突然炎上。車が爆発する前に脱出したために事なきを得ました。

「バスに轢かれる」-1995年
バスに轢かれかすり傷を負いました。

「ドライブ中に事故」-1996年
ドライブで山道を走っていた際、トラックと正面衝突しそうになり、急ハンドルを切ったところ、ガードレールを突き破り車ごと崖から放り出されました。しかし、シートベルト着用していなかったフランさんは車から脱出することに成功し生還。車は約100m下の谷底へと落ちていきました。

およそ30年にも亘ってアクション映画のワンシーンのような危険に遭遇してきたフランさんでしたが、2002年には、その不運を帳消しにするかのような幸運が待っていました。73歳の誕生日を迎えた二日後、フランさんは宝くじで大当たりを引き当て、110万ドル(約1億2000万円)という大金を手にしてしまったのです!



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